飽商909の"ナローな"時計部屋

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2014年 08月 01日

夏の翳り...

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..久々に取り出した一枚。。。

この人の声は単純に好きだ。

ほぼデモテープ状態ながらシンプルなピアノだけをバックにした録音。

以下ライナーノーツより..



ビヴァリー・ケニーは1932年1月29日にニュージャージー州のハリスタウンで生まれた。シンガーを志した1950年頃のビヴァリーにとって前途は明るいものだった。ビートルズが登場するのはまだ先のことだし、クリス・コナーやジューン・クリスティ、ジュリー・ロンドンら少し先輩にあたるシンガー同様の栄誉を勝ち得るように見えた。ジュリー・ロンドンは1957年のインタビューの中で、ビヴァリーをペギー・リーやエラ・フィッツジェラルドと並んで大好きなシンガーのひとりに挙げ、「きっと今年はビヴァリーの年になるわよ。彼女のフレージングは本当に素晴らしい。音程は正確だし、まるでミュージシャンのように歌えるわ」と評した。  
 ビヴァリーは、ピンナップ・シンガーのジュリー・ロンドンに匹敵する美貌の持ち主であった。ビヴァリーのやや柔和な歌声はビリー・ホリデイに似ている。もしビリーがあと10年遅れて生まれてきたなら、テディ・ウィルソンやルイ・アームストロングではなく、ジェリー・マリガンやレニー・トリスターノ、スタン・ゲッツといったクール派のミュージシャンを聴いただろうし、ビヴァリーのような歌い方になっていたかも知れない。  
 その後の2年間は、ジュリー・ロンドン同様の賛辞が『ダウンビート』誌をはじめとする音楽やショウビズ関係の有力雑誌に次々と登場した。「サラやビリー、エラと同じく、本物のジャズを歌うニュー・ヴォイス」「ジャズ・ヴォーカル界の新発見」「まだ新人だが才能と可能性は十分。長く第一線で活躍するだろう」等々。しかし、1960年にすべてを終えてしまったビヴァリーを知る我々にとって、この最後の言葉は皮肉としかいいようがない。  

ビヴァリー・ケニーが自殺してから40年以上の年月が経った今、彼女のことを知ろうとしても多くは推測の域を出ないが、2005年初頭、私はある人物からEメールを受け取った。彼はビヴァリーの最後の恋人で、彼女が28歳で自ら命を絶つまでの2年ほど交際していたという。私のブログを見て、電話がほしいとメールを送ってきたのだ。  
以下は彼が語るビヴァリー最期の日々である。
  “ビヴァリーは前に少なくとも一度、自殺を試みたことがあったし、自殺を恐れてニューヨークのベルヴュー・ホスピタルに進んで入院したこともあった。最後の数カ月は精神医の治療を受けていた。あの頃のビヴァリーは、ロックのせいでクラブでの仕事がほとんどなくなり、無一文だった。そんなこんなで、ボクらの仲は疎遠になり、彼女は出て行ってしまったが、それでもコンタクトは続けていた。4カ月ほど経ったクリスマスの頃、恋人という関係はもう終わっていたが、電話で彼女を誘い飲みに出かけた。それからさらに数カ月、ふたりが恋人同士だったことを知っている共通の友人がニュージャージーにあった私のオフィスに不意に現れた。「ラジオでビヴァリーが自殺したことを聞いた」という。私のショックがあまりに大きかったので、彼はヴィレッヂの家までクルマで送ってくれた。家の郵便受けを見ると、彼女からの封書がつっこまれていた。「私は本当にあなたのことを愛していました。でももう限界です。あなたのせいではありません。悪いのは私なのです」。”

  一方、1959年にスカーレット・オハラ以来といわれる1万人を超える候補者の中からアンネ・フランクの役を射止めた女優ミリー・パーキンスの思い出の中には、自殺願望のビヴァリー・ケニーは出てこない。それほど昔のことではないが、私はハリウッドのコーヒー・ショップでミリーにインタビューをした。
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“まだ若かった頃、ニューヨークでモデルをやっていました。ヴィレッヂに住んでいましたが、あの頃(1950年代中頃)のヴィレッヂはみんな気さくで顔見知り。ワシントン・スクエア・パークで知り合ったビヴァリーは私の庇護者でした。私はビヴァリーの歌が大好きでしょっちゅう聴きに行きましたし、映画に行くのも食事をするのもいつも一緒でした。私がニューヨークに出てきて初めてそれもひどい高熱のインフルエンザにかかった時には、熱い紅茶をつくってレモンを入れ、グラスいっぱいのスコッチを差し出して「さあ飲んで。明日は大丈夫よ」と懸命に介抱してくれました。おかげで次の日にはかなりよくなり、それからはインフルエンザになると必ずこの方法で治しています。でも、『アンネの日記』のスクリーン・テストでカリフォルニアに来てからはもう会うことはありませんでした。”
 
  インタビューの間ずっと、ミリーは何か見えないものを見ているような様子だった。ケネディ大統領が殺されて数週間経った頃から、ミリーはビヴァリーの霊を強く感じるようになったという。ビヴァリーの気配に耐えられなくなったミリーはとうとう叫びを上げた。「ビヴァリー、もうあっちへ行って!」。その以来、ミリーがビヴァリーの幻影を見ることはなくなった。  

今回リリースされるこの貴重なデモテープに関して、私が知っていることはきわめて限定的である。私は、ビヴァリーの最後のマネージャーだったイヴァン・モーガルや、ビヴァリーの遺族、さらに伴奏者のトニー・タンブレロの未亡人に問い合わせたが、新たな情報は何も得られなかった。 最後に収録されている「ゲイ・チックス」はビヴァリーの友人だった人物が送ってきたSP盤でその存在を知ったものだが、幸いキンボー・エデュケーショナル社からライセンスを受け、以前から持っていたSPよりは状態のよい音源を使用することが出来た。

(ビル・リード)



この曲の邦題は『過ぎし夏の想い出』という。。。

季節が移って回想する所謂、夏の恋..

"The leaves began to fade like promises we made.."

秋の訪れと共に色褪せ往く約束..

なんて美しい古典的表現。夏の二人の想い出は "月影の湖の小舟遊び..."等々 同様に若かりしいい時代のnostalgiaを呼び覚ます。 .. そして誰が歌うこの曲の歌唱より彼女のこのシンプルなversionが好きだ。それはそんな彼女の背景も重なってのことなのかも知れない。。。しかしそれは正直、時に重く聴くのを躊躇する時すらある。

*僕はこの曲をシナトラではなくBEACH BOYSで知った。
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by one_after909 | 2014-08-01 22:30 | etc...etc... | Comments(0)


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