『さて、ちょっと一服しよか?』
...と、ジョンとポールはギターを無造作に置いて部屋を出てった。
...って風情ですかね^^? 『息抜き...'64年初頭』と題しました一枚。初のアメリカ行きの前頃、ジョンの'58製 325とポールの'63製 500-1、スタジオでの合間って設定♪

ま、蘊蓄も、被写体はなんでもよかったんですが兎に角、折角レンズが上がって参りましたので嬉しがって一枚撮ってみた次第です。ん〜?しかしアダプターのガタつきは解消されぬ侭やな...-_- 欠損した螺子だけの問題ではなかった。やっぱりこの辺りは消耗品なんですかね〜?
久し振りにカメラ屋さん赴いて、待ってる時間に色々眺めさせて頂きました。
新しいSL2なんかを横目に、自分は未だ手ブレ補正機能も付いてない初代の7Sを使い続けている。ま、コンパクトだし手に馴染んでるしえっか〜^^? ..でもあの乾燥したぬめり(?)みたいなセンサーの味わいだけは正直恋しい。
『レンジファインダー? あ、そんなの(もう)関係ね〜!はいオッパッピ〜』by Paul
...扉のお写真、早速本家Hofnerさんにリポストして頂き嬉し^^...です♪
ありがとうございます<(_ _)>
しかし自分で載せてもせいぜい20とかなのが 何と1000近くもイイねが付いて凄い!...やっぱ違ゃうなぁ〜^^;(笑)
2/14 中国の状況も記しておきましょう...
友人達とWeChat電話。
工場も一部を除き稼働出来ず、学校も3月初旬の再開どころか...な、ネット授業で下手したら5月とかの噂もある。マンションの店舗・コンビニ・飲食店は全て封鎖...とか。日常は制約され、なかなか先が見えず厳しい感じです。
上海からも第4次国家中医医療派遣隊が編成され武漢へ出発した。お世話になった曙光病院の中医(所謂我々言う所の漢方)の先生。お気をつけて、頑張ってください!
赴いた上海市長が赴任した途端、(表に出なかった)湖北省の感染者数が一気に...と言う。時期悪くかつ予測し辛かったとは言え更迭された元指導部の責任は大きいと言わざるを得ないであろう。
1月のあの時期に一週間のインターバルで2度、肌で感じた意識の"軽さ"は如何に離れた最果ての雲南省とはいえ、それを物語っていたと思う。
なにより一つ間違えば自分も、自らの感染ばかりか気付かぬうちに'運び屋'と化してたかも?
...送ったマスクはまだ届かない。