飽商909の"ナローな"時計部屋

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2021年 11月 21日

1946 (Ⅱ) 或る夜の音楽會






"十年の歐洲留學にもかはらず歸國後自信がない


といふ理由で、一年近くも沈默を守った諏訪根自子さんに世間は早速妙なデマを飛ばしはじめた。 


-中略-


だが演奏會の前景氣は、開會半箇月も前に満員札止め。さうなれば一層、彈き手も緊張して来るものとみえて諏訪さんも傷々しいまでに神經を昂らせていた。



さて十月の或る夜、帝劇の幕はするすると上がつた。


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滿場の聽衆が一瞬シンとするとやがてコツコツと靴音がして舞台の右袖から諏訪嬢は出て來た。



あちら仕立らしい黑の天鵝絨の長衣をスラリと身にまとつた姿は中々品がある。伏目勝ちに楚々たる足取りで中央まで來て一揖した身のこなしは十年前の水兵服のあどけなさは嘘みたい。立派なレデイぶりである。


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チラリと笑ひが面上に走る程度の御愛嬌。


氣を落ちつかせる爲か頭も手もダラリと垂れる獨特なポーズで暫し間を持つ。


五秒、

十秒、

ッと、樂器を顎にあてがつた。頸に緊張して固くなつた筋肉がフットライトに強い影を伴って浮かび上がる。

輕く伴奏のグルリット氏に合圖するとタルテイーニ作の難曲、「惡魔のトリル」の第一音が我々の耳朶を打った。

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つゝましい不思議な冷たさを持つた音だ。

あの愁を含んだ明哲な彈手の面ざしに相應しいといひ度い様な……。


一曲は終わつた。

嵐の様な拍手、

ポツと諏訪さんの白粉氣の無い顔に赤味がさした。

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翌日の新聞紙上の批評家は嬢の歐洲留學の無駄でなかつたことをみとめ、なほ一層の情熱を求めてゐる點で一致して居た。"



*原文まま。但し一部割愛しました。


- 当夜の演奏曲目 -

タルティーニ「惡魔のトリル」
ヴィエニャフスキー「協奏曲 第二番」
プニャーニ「プレリュードとアレグロ」
グルック「オルフィオとエウリディーチェ -エウリディーチェを失って」
ラヴェル「ハバネラ形式による小品」
サラサーテ「サパテアード」






その「惡魔のトリル」の導入は…

日本のメロディにも通づる情感に溢れ、"耳朶を打った"と綴っておられるが、きっと沁みる様であり然し圧倒的な一音だったんだろうな?うぅ…

他の論評にもある様に、流石にブランク後のご緊張から?この初日には素晴らしき中にも少々の硬さがあり、然し数日後のあのパンフレットの藝術祭の頃は「別人の様に溌剌とした」…とした記述も残る。


初めて触れるリサイタルレヴュー、お写真、

短い文面ながら伝わってくるもの、そして凛とした美しい立ち姿に思いを馳せる。もうただただ感激です。他の方の演奏ですが演奏順に並べて聴き入りました。中でもやはり「ハバネラ形式による小品」が好き。同様に'85年録音で聞く事が出来る 技巧オンパレードの最後の曲は一体どんな表情/アクションでの演奏だったのだろうか?



その他レアショットの数々・・・



⬇︎「休憩--まだ半分残つてゐる。」…とプログラム間の休憩時間の楽屋風景。鏡の中の柔らかい笑み。

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⬇︎プログラム終了後。混雑する楽屋前。

「舞台の袖には親族知己が固唾をのんで一曲終わるのを待つてゐた」
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「演奏中は絶對面會謝絶の禁もとかれて--」
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⬇︎「普段着に着更へて遅い晩飯(左から令妹光世さん母堂令弟重麿君)」
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⬇︎「憩ふ間もあらはこそ夜汽車で大阪へ」

AHDNを地でゆくハードスケジュール強行軍^^; 翌々日の大阪朝日会館での独奏会へ向かわれる!
*当時の東京〜大阪間は9時間弱程掛かっていた。
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by one_after909 | 2021-11-21 23:47 | 諏訪根自子 | Comments(1)
Commented at 2021-11-25 02:14
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