飽商909の"ナローな"時計部屋

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2022年 05月 31日

西九州新幹線:新大村駅 と・・・

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初訪問。先日、車輌共々お披露目があった駅舎はもう完成してるのかな?駅前はまだこんな感じで造成中でした。


「へ〜こんな場所に?」

ってのが第一印象。在来線の駅その他、市の主要施設とも離れた場所にあって…"新"ってつく位だから、その系統の駅と同じ位置付けなのでしょうね?そんな事より、この路線と言えば鹿児島迄行く九州新幹線の様に山陽新幹線と直結・直通ではない事、これに尽きるのでしょう。

大阪からだと移動時間は長いが、関空や伊丹迄行って搭乗手続きや現地の空港からのアクセスを考えればトータルの時間はそう変わらない。鹿児島行ではそう感じたし長崎(大村)へも同じ感覚で行けるのは嬉しいなぁ?と期待大だったんだけど、何と!佐賀県区間は在来線乗り換えになると?思惑やメリット・経済効果はまぁ確かに理解出来んでもない、しかし飽くまで大阪からの山陽新幹線との直結利用に於いては魅力は半減してしまう…と言うか中途半端で、ただただ勿体ないなぁ?が個人的な本音です。
因みに今回、福岡からはバスで移動しました(2時間ちょっとくらい)

今回も、空港着いてから関空経由だけど帰宅まで4時間半掛かったし…それなら揺られてても?って感じ。

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さて、翌早朝、快晴の前日とは打って変わった薄曇りの中を1時間ちょっとウォーキングしました。
突如発覚したあの数値がちょっと危険領域なもので^^;


かなり上の方まで歩を進めた。越してきた当時は5〜6万だった人口も今では9万らしく住宅・店舗も増え景観も大きく変わった。しかし竹林脇の懐かしいむせかえる様な匂い、草焼きの煙なんか嗅覚から忘れかけた記憶を呼び起こされるものがあります。



その暑かった前日も今では福山雅治さんで有名になったらしい協和飯店の辺りから徒歩で帰宅。あとで距離調べてみると4.1kmだった(汗だく)。途中、道すがら何気なく立ち寄ってみた小学低学年の頃通った川沿いの剣道場が記憶の中のほぼその侭の姿であったのには驚いた。

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微神堂


その後、ほど近い同じ川沿いで昔の消防署の前に出来た天真道場に幾人かの先生ごと移りました。まだ薄暗い冬の早朝の寒稽古、暑い夏、胴着/防具の臭い・・・









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当時の市政だより


昭和47年(1972年)年初と言えば8歳か?大阪から転校してきて間もなくの頃。きっとこの「小学1・2年生のきり返し」の中に居たんだろうな?…調べれば大概のものは見つけられる事にも驚くが、今では思い出す事すら稀な幼少のとある一時期の事を辿れたのも何か楽しかった^^(当時、人口57,200人かぁ?因みに半世紀後の現在は96,067人。)

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水際の感じは少し変わったが基本護岸もこの侭ではなかったか?・・・よくメダカ獲った。


道すがらの何軒かの友人宅の表札変わってたり建物自体がなかったり、道場からほど近い英語を教えてくれた教会の前も通ってみた。別段、込み上げるノスタルジアの類いは希薄ながら車ではなく徒歩でってのも実に乙なもので、そんな感じの4.1kmでした^^♪因みにその朝ウォーキング分が5.5km。帰阪して病院往復3km、本日客先往復 2.7kmと距離が落ちて来ているが継続しなければ…と思う-_-



誰かに声を掛けたり友人の店に出掛ける事もなく、只々実家で時間を共に過ごせたのは何よりだった。思い切って脚を伸ばして本当によかったと思う。コロナ禍以来2年半振り、埋める事は出来ずも又お盆時期に帰省するとしよう。



by one_after909 | 2022-05-31 20:43 | 閑話休題 | Comments(0)
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