実名もどうか?とは思ったけど、まぁ既に公に出てる訳だからいいか
^^? 一昨日のYahoo!ニュースに現上海贋ビートルズGが
…知られざる彼の人生と、最後記されたの崇高な思い。そして何より「LAメタル」
!?なんかそんな音楽ご経歴あったなんて初めて知った。
確かに一緒に演ってて、素地のしっかりされた演奏されてるな〜?と、Beatlesしか弾けない(それも7割5分くらいで^^;)自分とはえらい違いや…とは思ってはいたけど、それも妙に納得したりして(笑)
*そう言えば、盛り上がった欧米お姐様方ステージ前ダンス天国の"I Saw Her Standing There"のソロの最後でその片鱗は覗いてたりしたっけな?
先週、帰省した団欒の折、母の幼馴染の小説家さんが「多分これが最後の一作になると書いてて薄々気付いたわ」と話された事と被せて自身の趣味絵画のことを大仰に語ってたけど、そういえば何となく'18年暮れだったかにYちゃんが単発で飛んで来てくれてAbbey Road と 虹橋のInternational School と連荘でやった時に似た様な心持ちになったのを漠然と思い出したりした。
⬇︎当時、そう心境を綴ってる…
勿論、コロナ禍前の'19年後半迄その後も何度もライブやって都度、AbbeyやGeneva等の小さな会場でもSt.Patrick's ガラ・パーティの大きな会場でも須く、素人ながら冥利に尽きる素晴らしい瞬間を彼とも共に何度も享受したのではあるけど、その'18年以降 前述の如く何となく個人的に燃え尽き症候群的な感も否めなくもなかった…思えばそんなスパンだった様な気がします。
こうして3年の月日が只々無為に過ぎゆきてみればそんな感覚でやっていたなんて何と勿体無い事だったろうと痛切に思う次第。
奇しくも、今年'22年は盟友Yちゃんとクォリーメン的バンドを上海で最初に始めてから丁度20年になる。「自毛でヤレるうちは頑張る」と書いているが、だいぶ厳しくはあるものの幸い其れはまだ大丈夫、何より今も旧知のメンバーの皆んなと楽しく一緒に出来る幸せを噛み締めつつ♪
上海でもまたやりたいけど、取り敢えず目先の3年ぶりの復活ステージ!・・・「そうやな?先ずは弦でも交換しようか」とは心構えのレベルが